下に行くほど、古くなります。

2000年 3月

 

27日(月)

模型屋−その2
 そろそろ高校を卒業したらどうするか?と言う問題に直面したとき、『親父の跡を継いで、模型屋をしよう』と思いました。と、言えばかっこいいのですが、私はとにかく勉強が嫌いで、嫌いで仕方ありませんでした。ですから、大学に行くのがイヤで、と言うより能力がないので進学はできません。しかも、私には兄がいるのですが、彼は模型屋を継ぐ気はないようでしたので、父に模型屋を継ぐ意志を伝えました。私にとっては勉強はしなくていいし、仕事も好きなことが出来るしと、都合の良いことばかりでした。結局、商売をするのに帳簿関係の勉強に会計の専門学校に行きましたが、これも資格を取る目的ではないので何とか卒業できる程度に通い、その後、商売の勉強にと、取引先の問屋さんにお世話になりました。これは、楽しかった。

 2年間お世話になったのですが、今思っても、今までの人生の中の楽しかったベスト3には入ります。この時に学んだというか、感じた一つに、問屋さんにかわいがってもらえるような小売屋は結構得をする。と言うことがあります。自分も数十軒のお得意先を持たせてもらって、お得意先によれば、私自身を問屋の人間としてと言うより、個人としてかわいがってくださる方もいらっしゃいましたし、中にはそれはちょっと、と言いたくなるようなお得意先もありました。そこで、違いが出てくるのは、いくらお得意先とはいえ、こちらも生身の人間ですから、売れ筋商品の割当数量や、おいしい情報の提供に微妙なサジ加減が加わります。もちろん、これは問屋さんの言いなりになると言うことではありません。言わなければならないことは、ちゃんと言うのは当たり前ですが、ありがたいことに当店の問屋さんは長くおつきあいを頂いている事もあり、当店のことはだいたいわかっていただいているようで、最近では不満が出ることが少なくなってきました。(ねぇ、問屋の○○模型の皆さん!)もう一つ、問屋さんでお世話になっていたときに得た大切なものは、問屋の皆さんとの距離が縮まったことです。今でも問屋の皆さんには、気軽に声をかけていただいて、楽しくお話をさせていただきます。

 そうそう、もう一つ一番大事なこと。実は、私の奥さんもこの問屋さんで仕入れてきました。しかも、仕切書、請求書など、一切なしで、、、。これは、父の代から長くおつきあいしてきた中で、私にとっては一番のお買い得品?でした。

 今日も長々と書きましたが、まだまだ続きます。次回をお楽しみに?

22日(水)

模型屋−その1
 まずは、私が子供の頃思っていた、『模型屋』について書いてみます。

 私の父が、この商売を始めようとしたのは、昭和22年、現在の地にきて本格的に始めたのが昭和24年です。
私が、昭和29年生まれですので、生まれる前からの(?)模型屋育ちです。
 実は、子供の頃、『模型屋の子』があまり好きではありませんでした。周りの友達の家はサラリーマンがほとんどで、模型屋はウチだけでした。子供心に『サラリーマン』と言う横文字の職業がうらやましく、みんなと一緒でないことがイヤで、相手に聞かれるまでは家の商売のことはあまり答えず、こちらからも話題にしませんでした。当時は、当地でも模型屋はウチともう一軒の2軒しかなく、模型屋と言う存在はあまり認知されていなかったと思います。
(もしかすれば、こんな環境が良きにしろ悪しきにしろ、人と同じ事はしたくない性格を形成したのかも、、、。)

 そんな中でも、小さい頃の思い出にあるのは、『ライトプレーン(ゴム動力飛行機)』の大会です。40代以上の方なら、ご存じでしょう。
 ちょっと宣伝=当店では現在でもライトプレーンのキットを扱っています。昔取った何とかで、久しぶりに作ってみませんか?これから、暖かくなってきます。ちょっとどこかの広場で、お天気の良い日に、大空に夢をとばせてみませんか?
 ただ、私の思い出にあるのは、『大会』ではないのです。
 当時、セメダイン社の主催(だったと思います。)で全国大会があり、和歌山でも地方大会がありました。そんなとき、セメダイン社からマイクロバスのような車、ちょうど今なら、自民党や共産党などが街頭演説に使うような、後ろにデッキのついたバスのような車で、宣伝カーとして走っていたような気がします。まだ、自動車も高嶺の花の時代ですから、その宣伝カーがすごくかっこよく、乗るのにあこがれ、実際少しだけ乗せてもらったと思います。
 (ところで皆さん、『セメダイン』って接着剤の代名詞のように使われてますけど、会社の名前ってご存じですか?しかも、アメリカのNASAに接着剤で協力したりして、結構すごい会社なんですよ。)

 それと、もう一つうれしかったのは、時々ですが、父に大阪の問屋さんへ連れていってもらいました。
問屋の人たちが、みんな私をかまってくれ、楽しく過ごしてから、帰りに心斎橋にある『不二家』で食事をして、電車に乗る前に、週間の漫画雑誌『少年サンデー』や『少年キング』などを買ってもらい電車の中で読む、と言うより多分、いつの間にか寝てしまっていたと思います。大阪に連れていってもらうのは、ちょっとした旅行気分でした。

 中学生になると自分の周りに『プラモデルが好きや』と言う級友が何人かいて、『おまえはいいなぁ』と言われるようになって、ようやくと言うか、今度は『模型屋の子』が特別のような気がしてきました。ただ、彼らが一つだけ誤解していたのは、『模型屋の子は、自由に模型を作れる』と言う事。父は、誕生日のような特別な日以外は、勝手に商品に手を出すことを禁じていましたので、基本的にはほしい模型があれば、お小遣いで買う事になっていました。(もっとも、仕入れ価格にはしてくれましたが、、、。これは、私に対する父のある種の教育だったと思います。私も、自分の子供には、同じようにしましたし、現在もしています。)このころからようやく、『模型屋の子』に、なったのでしょう。

 下手な文を、長々と書いてしまいました。本日は、この辺りにさせていただいて、続きはまた書きます。

18日(土)

 
 久しぶりに○松さん、現る。大事な写真班の一人。店内写真を撮ってもらいました。作品も撮ってみたけど、いまいちきれいに撮れないので、これは第二写真班の、○見さんに頼もう。こうして、みんなの協力をもらって、一歩ずつ進んでいきます。ありがたいのは、すべての人が本当は当店のお客さん。その彼らが、ボランティア?精神で私のサポートをしてくれること。昔、やすし、きよしの漫才で、一人が『俺が手を挙げたら、若いモンの4,5人は集まるでぇ』と言えば、相方が『俺がなぁ、手を挙げたら、、、、。』『タクシーが止まるでぇ』と言ってましたが、私も、手を挙げたら、常連さんの4,5人は集まるかな?でも、本当に、お客様が助けてくれると言うのは、商売をしていて本当にうれしく、そんなお客様といられるのは、本当に楽しいです。
 ちょっと、照れるけど、、、。みなさん!ありがとネ!

17日(金)

 
 とりあえず、試験的にアップしたので親しい方に見ていただき、直す箇所などをいろいろと、アドバイスを頂きました。それを元に、各ページを修正しています。実は、昨日アップできたと思っていたら、自分のパソコンではちゃんと見られるのに、ほかのパソコンでは、INDEXだけしか見られないことが判明!
 さぁ、どうすんの? なんで?ナンデ?何で?
 息子の力を借りながら、格闘すること、約3時間。たぶん慣れた人とか、ちゃんと勉強している人なら、『なんで!そんなこと、常識!』と言われるようなミスと思うけど、ド素人の私にはすべてが未知の世界。
 何とか解決して、昨夜10時過ぎに無事、オープ〜〜〜ン!!!!!!!!!。

16日(木)

 
 本日念願のホームページをようやく立ち上げました。全くのド素人が無茶なことをすると思いましたが、何とかここまできたのだから、今のソフトの優秀さにはびっくりします。これからも色々な人に、迷惑をかけながら少しでも皆様が楽しんでいただける、ページにしたいと思っています。
 よろしく応援の程、お願いいたします

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