下に行くほど、古くなります。

2004年 4月

 

20日(火)

自分のケツは自分で拭こう

 珍しく(?)今月2回目の日記です。

 今月は日本にとって世界的衝撃事件が起きました。
 あろう事かイラクで日本人が人質になりました。
 しかも3人拉致された後に、さらに2人。
 しかしその二つの人質事件も、人質の無事解放、無事帰国で一応幕はおりました。
 外国で事件や事故が起きるたびに思うのですが、『日本人って世界のどこにでもいるんだなぁ』。

 いやいや、今回はそんな問題ではなく人命と国策が絡んだ大問題でした。
 政府は決断を下すのに相当悩むのかと思えば、以外と早く国策を優先しました。
 ま、ちょっと考えてみれば、当たり前の話ですが・・・。

 もし、テロの圧力に屈して犯人側の要求を受け入れていれば、今後日本人を人質にねらう事件は続発した可能性があります。日本人を人質にすれば日本の国を動かすことができると、世界のテロリストの標的になっていたかもしれません。

 今回の事件では、自衛隊の人道復興支援に対して色々な論議が起きています。
 犯人の要求は『自衛隊の撤退』で、人質やその家族の要求も人質事件が起きる前から『自衛隊の撤退』と、犯人と被害者の利害が一致していました。
 ましてや最近の報道によると、犯人の要求で脅迫の映像を撮るときには人質に派手に怖がるよう演技指導(?)をしていたというのです。

 いやぁ、しかし日本政府もなかなかやります。
 政府は外交ルートを通じて問題の映像を入手し、専門家が解析を進めた結果、未放映の冒頭部分に明らかに事前に演技をつけたような動きを発見。また悲鳴を上げさせるシーンなどで人質3人が犯人側の動きを予知していたかのような動作が数カ所あったのを見極めていたため、人質をただちに殺害する状況ではないと判断して、交渉を有利にすすめることができたそうです。(参照 サンスポ 4/18)
 犯人グループに脅されての行動だったそうが・・・。

 また、退避勧告がでているイラクにボランティア名目や取材と言うことで入国している事で、本人の自己責任と言うことでも人質に対して世間の風当たりは強かったようです。

 さらに、日本での人質家族の行動も相当問題になりました。
 人質になっている家族の心配をしていると言うより、自衛隊の撤退要求を政府に認めさせようとする会見があったり、家族の属する団体と思われる人たちが署名運動や抗議活動にいち早く動いたり、ちょっと考えさせられる行動が目立ちました。

 今回の騒動で色々なニュースやインターネットの掲示板を見ていて気が付いたのですが、思想的に『右寄り』と言われている人と『左寄り』と言われている人の意見を見ていると、『右寄り』と言われている人の意見では『自己責任』とか『甘えるな』とか自身に責任を問う姿勢が多く、『左寄り』と言われている人の意見では『政府が悪い』や『自衛隊が派兵されているからだ』など責任を他人に持っていく傾向が多いと思いました。

 そういえば、問題を起こしたときに『社会が悪い』『世の中が悪い』と言う人がいますが、この人たちももしかして・・・。
 それとも教育の問題かな?日○組の。

 エッ?わたし?
 私は自分のケツは自分で拭くつもりです。

 

3日(土)

結婚記念日 25回目

 またまた、久しぶりの日記です。
 なかなかネタってないんですよねぇ。
 と言うかボヤキネタならいくらでもあるのですが、そんなことばかり書いていたら単なる文句たれ親父だし、それも進歩がないしなんて考えていたらなかなか書けなくなってしまいました。

 そんなわけで、今日は私事。
 しかも、ノロケ話です。
 おまけに、長い!(だいたい愛の物語って言うのは長いんです。(ほんまかいな?))
 『そんなものは読みたくないわいっ!』とお思いの方は次の日記をお待ちください。

 それでは、『はじまり、はじまり〜〜!!!』

 実は4月1日は私たち夫婦の25回目の結婚記念日、銀婚式でした。
 今まで25年間、結婚記念日がエイプリルフールと言うことで、『ぜぇ〜んぶウソ』と言っては、これと言って何も彼女にはしてこなかった私ですが、さすがに今回ばかりは彼女の今までの労に感謝しなければいけないと思い、私にできることはないかと一ヶ月以上も前から考えていました。

 そんな折りネットサーフィンしていて偶然に見つけたのが、私たちが25年前結婚式を挙げたホテルの昼食の案内でした。
 25回目の結婚記念日にふさわしい場所を見つけました。

 私たちが知り合ったのはお互いに大阪で働いているときで、友人、知人が大阪に多いこと、お互いの親戚関係に出席してもらうのに便利なようにと大阪で結婚式を挙げました。
 確か難波の高島屋にあったブライダルコーナーで紹介されたと思います。
 正直なところ、決して有名でも、豪華でもないホテルでしたが、当時そのホテルでは挙式は一日二組限定と言うのが気に入り、そのホテルで結婚式を挙げることにしました。(現在は一日一組限定だそうです。)
 当時友人の結婚式に出席すると、一日に何十組もの(多いときは30組ほども)式を挙げる結婚式場で、花嫁が行き交い、あちこちの挙式の出席者が混ざり合って挨拶し、まさに結婚式をこなしている結婚式場の状態を思ったとき、一日二組限定(午前の部と午後の部)はすごく魅力でした。

 結婚記念日の計画を練りました。
 ミッション(?)は結婚式を挙げたホテルで昼食をとること。
 彼女には絶対悟られないこと。
 この2点は絶対に外せませんでした。

 まず第一関門。どのようにして彼女を大阪に一緒に行く気にさせるか。
 これは幸いなことに、最近彼女はビーズ制作に凝っているので、大阪の天王寺にある材料店に行こうと誘いました。さらに、一緒に行って、どんなものがあるのか私も見てみたいと口実をつけました。
 ちょうど彼女もその材料店に行ってもいいなと思っていたようなので、それなら結婚記念日に大阪に行って久しぶりにちょっと歩いてみようか?と言って何とか大阪に行く準備はできました。

 計画は順調に進んでいるように思えたのですが、2週間ほど前になって急に彼女の持病が出ました。
 彼女はほんとに軽い膠原病の疑いなのですが、少ししびれ感や痛みがあると言うのです。
 すぐにかかりつけのお医者様に行って、薬を貰ってくるように言ったのですが、薬を飲んでもすぐに収まる訳でもなく、またまさか、具合が悪いのに強行することもできませんから、残りの2週間で回復することを祈るだけです。

 一方で、記念日の一週間前にはとりあえず当該のホテルに25年前に結婚式を挙げたのですが、昼食の予約をお願いしたいと電話をしました。

 後は彼女の状態がよくなる事を祈り、そして計画を悟られないようにすることでした。

 何とか彼女の体調もよくなり、いよいよ当日です。
 朝から電車で大阪へ。
 まずは目的のビーズアクセサリーの材料店へ。
 ホテルの予約は1時。材料店の時計はまだ11時半です。
 材料店からホテルまでは30分あれば行けるでしょうから、材料店でゆっくりと買い物できると思い私も店内をあちこち見ていました。

 そろそろと思い時計を見ると12時20分。
 彼女のそばに行くと、なにやら携帯電話で友達に買い物を頼まれたようで話し中です。
 レジを見ると人が並んでいます。精算にも時間がかかりそうです。
 ちょっと焦ってきました。

 ホテルに電話をし、行くのが遅くなる事と、必ず行くのでと連絡をしました。
 ようやく彼女の買い物も終わり、ホッとしていると、会員になる手続きをしたいと言いだし、また時間をとられましたが、ここでバラしては水の泡とガマン。

 お店を出たところで、『お腹、すいたね。どこかで、食べよ。』と言う彼女に、『難波にいこう。』と言ったところ『エッ?難波?予約でもしてんの?』『ン??ネットで気になる店がある。』と答えました。
 ここで悟られてはいけません。
 でも、何か勘ぐってるような・・・。
 いやいや、気のせい。知らん顔して難波へ行こう。

 いよいよ計画の最終段階です。 
 地下鉄に乗り難波へ。
 地下鉄の難波駅から直接ホテルに行けるのですが、ホテルの入り口の階段にホテルの看板が。
 彼女に『これ。』と看板を指さすと『うそっ!』。
 (ここで、『このホテルがどうしたの?』なんて言われていたら、計画は水の泡どころか、しらけていたでしょうね。)

 9階のレストランで『予約していた者ですが』と言うと、彼女が『ほんとに予約してたの?』。
 係の人が奥の席へ案内してくれて、私たちのテーブルには飾り付けがしてありました。他のテーブルにはなかったので、特別にしてくれていたようです。
 テーブルに着くなり『エェ〜。ほんまに。』とちょっと言葉をなくしたようです。

 係の人から25回目の結婚記念日のお祝いの言葉をいただき、その後は出てくる料理をその都度説明していただきながら、約2時間の食事でした。
 さらにレストランも気を遣ってくれて、後から来るお客さんをできるだけ私たちの席から離れたところに案内して、二人でゆっくりと時間を過ごさせていただきました。

 4月1日と言うことでちょうど料理が春のイメージに切り替わった初日で、春らしい料理の数々をおいしくいただきました。
 そして何より一番大事だったのは私たち夫婦にとって一番の思い出の場所で、楽しく食事ができたことです。

 彼女もよほどうれしかったのか、今回のことを友達に話していました。
 こんなに喜んでもらえると、やってよかったなぁと思います。

 今までの25年間色々なことがありました。けんかもし、一緒に笑い、泣き、怒り。
 結婚するときには彼女を幸せにするつもりでしたが、とりあえず私は幸せになりました。
 彼女はどうかわかりませんが、彼女の分まで幸せになっているような気がします。
 これからも、彼女の分まで幸せになろうと思います。

 ってことで、
『たまちゃん!これからもよろしくね!
たま
ちゃんの分も幸せになるからね。』

 ン?これでいいのか???

 

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