下に行くほど、古くなります。

2005年 12月

 

29日(木)

17年目の真実

昨日、次男が帰省してきました。
今年の夏に購入した車での初めての帰省です。
初めての長距離運転、不案内な道中を心配していた過保護親でしたが、途中で電話があり様子を尋ねると同じ仕事場に和歌山出身の方がいてその方と一緒に帰っているので、道の不案内も心配ないとの事で一安心。
夕方、無事帰ってきました。

さて、今朝一緒に朝食を食べて後かたづけをしているときに、妻が台所の足下に置いている屑入れを取り上げて『タツヤ、これ覚えてる?』。
妻が手にしていたのは次男が幼稚園の時に作った屑入れです。
作ったと言っても出来合いの屑入れの回りに貼り絵で飾りを付けたものです。
貼り絵は人物らしき模様と茶色の枠のようなもの、そして2p前後の円形らしきものが数個です。

次男が『オォ〜!覚えてるよぉ。幼稚園の滑り台でみんなで遊んでるところやん』。
妻が『え?滑り台って?』

茶色の枠と思っていたのは滑り台でした。
枠と思っていたところは上るはしご段で、斜めに出ていた棒は滑る部分でした。
人物らしきものはやはり人物だったようです。
今までは何の絵か理解せず、ただ単純に人物に何かの模様をつけただけと思っていたのですが、17年目(ぐらいだと思います)にして謎が解明です。

次男は現在建築関係の会社に勤め、現場の職人さん達のお世話をする仕事をしていますが、今回の件でよくデザインなどの芸術系の仕事に就かなかったものだと安堵しました。
だって、あの屑入れの貼り絵のセンスで芸術系の仕事をしていた日には一生芽が出ない事は確実です。

今年最後の駄文です。
今年も誤字脱字等でご迷惑をおかけしながらも何とか一年間続ける事ができました。
また、今年は皆様には妻の事でご心配をおかけしました。
おかげさまで家族揃って自宅でお正月を迎える事ができます。

最後になりましたが、どうぞよいお年をお迎え下さい。
来年もよろしくお願いいたします。

27日(火)

愛しの我が息子達よ!

今年もいよいよ残り僅かになりました。

妻の体調の事もあり我が家では今年の大掃除はあきらめました。
お店の大掃除も諦めました。と言うよりたぶんできないと思います。
と言う事で、毎年なら12月の月末は慌ただしくて気が重くなりますが、何となく気分が楽です。

ただ、掃除は免れたものの、最難関の棚卸があります。
これがつらい!
箱物のプラモデルを数えるのは何ともないのですが、問題は小物類です。
パーツ類、各種金属線、棒材などの超小物は特に難問です。
元々デスクワーク的な仕事が大嫌いな私にとっては棚卸の数調べ、その後の棚卸表の作成は一年に一度の修行です。

さて、そんな修行第一弾の在庫調べには毎年心強い助っ人がいます。
私の二人の息子です。
学生時代は当然のように家の手伝いとして棚卸をしてもらっていました。
二人とも社会人になってからは私も諦めていたのですが、今でも義理堅く(?)手伝ってくれます。
もちろん今年も30日には帰省してきて手伝ってくれるそうです。
・・・。はずです。・・・。たぶん・・・。
だって今年は彼らの母親がたいへんな事になっているのですから。

なぜこんな事を駄文に書くのかって?
実はこの駄文を我が長男が読んでいるそうなんです。
で、今日の駄文は長男へのアピールです。
『タカシく〜ん、タツヤくんと一緒におねがいしまぁ〜す!』
(ほんまにエエ息子や〜。涙、涙、涙・・・。)

25日(日)

エプロン

妻は入院する前から寝たきりに近い状態になっていたので、それなりに家事をしていたのですが、朝起きて服を着替えてから家事をしていました。

妻が入院してからは朝起きてから着替えをせずにパジャマ姿のままで朝食の用意、洗濯、洗い物などをしていました。
パジャマのままで朝食の用意や洗い物をしていると洗剤の泡や水が飛び散るのが気になり、どうしてもパジャマを汚してしまいますので洗い物にも気をつかいます。

妻が入院して何日かしてこれでは作業性が悪いとエプロンをする事にしました。
が、今までエプロンなどした事がないのでエプロンをどこに片付けているのかがわからず、あちこちを探してやっと見つけました。

とりあえずタンスの引き出しの一番上にあるエプロンを手にとって身につけました。
エプロンをつけて家事をはじめると、パジャマに洗剤や水が飛び散る事を気にしなくて良くなったので、作業も捗ります。
しかもエプロンをつける事で気合いが入るというのでしょうか、何となく『さぁ!やるでぇ!』と台所に立ちます。

さて、こうして何日かしてエプロンが汚れてきたので洗濯をする事にして違うエプロンを用意しました。
このころにはエプロンをするのが当たり前になっていましたので、違うエプロンをつけても初めての頃の気合いは入りませんでした。

さらに何日かしてこのエプロンも汚れたので、再び洗濯済みの最初のエプロンを身につけたところ、何となく気合いが入る気がします。
何が違うのか?
色々と考えるとどうやらエプロンの色のようです。
最初のエプロンはショッキングピンクに近い色(シャア専用ザクの色を少し明るくしたような感じ)で、2番目はベージュの地味な色でした。
ピンクという色に刺激を受けるのか、気合いの源はこれだったように思います。

で、今もこのピンクのエプロンは私用です。
妻はベージュの地味な方を使っています。

ところで、このピンクのエプロンの話を常連の方にカミングアウト(?)したところ『あかん!アニキがピンクのエプロンをしてるところを想像してしもた』『まさかエプロンの下はパンツ一丁と違うやろな?』など思わぬ波紋(?)を広げています。

皆さんも私のピンクのエプロン姿、興味あります?

24日(土)

石油ストーブ

妻が退院して2週間が過ぎました。
妻の入院をこの駄文に書いてから、皆様にご心配をいただき、また最近は妻の様子を皆様からお尋ねいただきます。

本当にご心配をいただきありがとうございます。
おかげさまで少しずつですが体調を取り戻しています。
退院直後は起きていてもコタツの番をしている時間がほとんどでしたが、最近では朝食の用意を一緒にしたり、軽く掃除機をかけたり、先日の買い物でも一時間程度歩く事ができるようになりました。
現在の彼女の航続時間(?)は30分から一時間程度と言うところでしょうか。

退院するときに主治医の先生から感染症に気を付けるようにと言われました。
現在ステロイド剤と免疫抑制剤を使っているので感染症にかかりやすいそうです。
特に今の時期は風邪です。
そこで風邪予防に加湿器を買おうと思い電気屋さんにお勤めのY谷さんに相談していたのですが、今使っている石油ファンヒーターともう一つ暖房器具も買って続きの部屋、2部屋を暖かくしようという事になり、それなら石油ストーブにすれば上にやかんをのせて加湿もできるから一石二鳥と、石油ストーブを買いました。
加湿器の加湿と石油ストーブのやかんでの加湿では差があるかもしれませんが、それでも無いよりはいいだろうと思います。

さて、石油ストーブを買って今までにない発見(?)と言うか、便利さに買った事を喜んでいます。

まず第一に、やかんを乗せているのでいつでも熱いお湯が使える事です。
ちょっとお茶を、とか、ポットに足すときも今までは当然水でしたが、今はお湯を足すので電気代の節約になっているはずです。

そして何よりうれしいのは煮込みが必要な料理です。
ストーブを買って数日後、妻が晩ご飯におでんを作ったのですが、妻は薬を飲む時間の都合で私が帰る前に先に晩ご飯を食べます。
その後、私が帰るまでおでんをストーブの上に乗せて煮込んでいたのです。
大根もジャガイモもスジも何もかもが口に入れるととろけそうに柔らかいのに、型くずれしないで、味も充分に染みこんでいます。
さらに妻が言うのには、ガスコンロで煮込んでいるとすぐにお汁が蒸発してしまうけど、ストーブだと煮込んでいる割にはお汁が無くならないそうです。
まさにコトコト煮込むという状態のようです。

昨夜は鶏肉と大根を煮込んだおかずで骨付きの鶏肉だったのですが、煮込んだおかげと思うのですが、実に見事に骨から身がとれるのです。
本当に骨だけで一片のお肉も残らず、お箸で簡単にとれる様はちょっとした感動ものでした。

今度はシチューを作ると言っていました。
こうして我が家では現在煮込み料理がマイブームです。
(加湿器の役目を果たしているのかどうかは二の次になっています。)

そう言えば子供の頃、我が家にも練炭火鉢があって、いつもはやかんが乗っていて、時にはおもちを焼いたり、時にはお鍋が乗っていていいにおいを放っていました。

Merry Christmas!

23日(金)

連休

昨日、一昨日の連休が私には今年最後のお休みでした。
30日、31日は一年で一番イヤな棚卸ですので、お店はお休みでも最悪と言っていい仕事です。

毎年最後のお休みは自宅の大掃除をするのですが、今年は何もしませんでした。
連休であったにもかかわらず、妻の体の事もあり、全く掃除らしい掃除をしませんでした。
子供達が帰ってくる程度で、特に誰が尋ねてくるというわけでもなく、ま、いいかと言う事になり、それよりお互いに無理をして体調を崩してはいけないね、などともっともらしい理由で夫婦で合意。
良くできた我が息子達が29日、30日と相次いで帰ってくるようなので、彼らに棚卸のお手伝いと家の掃除の期待をかけてみます。

で、連休は何をしていたかと言いますと、一日目は早めのクリスマスを私の両親と一緒にしました。
と言っても、ケーキとちょっとした総菜ものを買って一緒に食べただけですが。
小さな子供もいない、年寄り夫婦と中年夫婦で4人のクリスマスです。
子供達が小さかった頃、彼らのはしゃぐ姿を思い出すと少し寂しい気もしますが、それでも私の両親は4人で賑やかに食事ができたと喜んでくれました。

2日目は朝から年内最後の妻の病院通いと支払いなどに銀行へ。
昼からは近所の奥さんの年賀状づくりのお手伝いをして、夕方から買い物に行きました。

妻が退院してからは、買い物はお休みの日に一週間分をまとめ買いします。
妻が元気な頃は、妻が自分で車を運転したり、歩いて買い物に行っていたのですが、今は筋肉が落ちて力が入らないので、車の運転や20分以上歩いての買い物ができないので、お休みの日に買い物に行きます。

家の中や段差のないところだと2、30分くらいは歩けるのですが、普通の道路で少しでも起伏があったり、段差があると足が上がりにくいので、転けそうになったり5分も歩くと疲れてしまうようです。

それでも、少しずつ家事もできるようになりました。
ご飯の用意をしたり、洗濯物をゆっくりと時間をかけて干したり。
おかげでずいぶん私も楽になりました。

私が家事をしていて、今一番つらいのは食後の後かたづけです。
ご飯を食べて少し一休みをして洗い物をするのですが、一休みをしている間に眠くなってきたり面倒になってきたりして、再始動をするのに気合いを入れ直さないと体が動きません。

でも、考えればこの洗い物も今まで妻が文句も言わずにしていたんですよね。
私も文句を言わずにやらなくっちゃ。

20日(火)

I先生

妻が日赤病院で主治医としてお世話になったI先生に初めてお会いしたのは今年の7月でした。
7月のはじめ頃から調子が悪くなり始め薬の量も増えたので、いつもかかっているO先生が、日赤のI先生に紹介状を書いて下さって、場合によってはそのまま入院治療になるかもしれないと言われました。
その足で日赤に行き、診察を受けたのですがその時は幸いにも検査数値も落ち着く前兆があったため、I先生は入院の必要ないでしょうと言う事でした。

確かにその後は少しずつ症状は改善していきました。

さて、今日のお話しはそんな妻の症状じゃなくて、I先生のお話です。

妻が初めて日赤でI先生の診察を受けて帰ってきたとき、I先生って漫才師の西川のりおを上品にして賢そうな顔にしたらこんな感じかなっていう顔してた。
ま、相手がお医者さんですから賢そうな顔という言葉が付いたんだと思いますが、西川のりおを賢そうにしたらってどんな感じやねん?

何とか体調は保っていたので、その後はI先生の日赤に行く事はなく、かかりつけのO先生に診てもらっていました。

が、いよいよ調子が悪くなって今回の入院騒動となり、再び日赤のI先生にお世話になる事になりました。
入院して何度か妻の病室に行ったのですが、当初は残念ながらI先生とお会いする事はできませんでした。
もちろん妻の事をお願いするご挨拶をしておきたかったし、何より病院に行くたびに妻が『ほんまに西川のりおに似てるって』と言うので、そのことへの興味もわいてきます。

で、何度目かの病院に行ったときにやっとお会い出来ました。
っていうか、一目見て『I先生!』ってわかりました。
似てます。たしかに。西川のりおを物静かにして賢くした顔です。
もちろん話し方も西川のりおのようにやかましくないです。

さすがにご本人は言えませんでしたが(俳優さんに似てますねならいいけど、西川のりおでは失礼かと・・・)、挨拶が終わって病室から出て行った後、妻に『似てる!』っと言ってしまいました。

その数日後、妻の友達がお見舞に来てくれたときにその友達に『主治医は誰?』と聞かれたそうです。と言うのも妻の友人も持病があって日赤に入院、通院をしているので何人かの先生の名前を知っているそうです。
妻が『I先生』と言うと、その友達が『I先生って漫才師の西川のりおに似た先生とちがうん?』と言われたそうです。

と言う事で皆様ももし日赤に行くような事があればI先生に注目です。
っていうか、先生と顔を合わせてお世話になるような事で日赤に行くような事にならない方がいいですよね。
私も妻の退院の時にはI先生に『また、ここに舞い戻ってこないようにします』って挨拶してきましたから。

17日(土)

株式会社 タミヤ 代表取締役 田宮俊作 殿

『いつもお世話になってますっ!』
タミヤ営業部のM君が前日の電話通り昼頃にお店にやってきました。

『オオッ!なんや。ほんまに来たんか?』と歓迎の意を表し、中に招き入れると彼がカバンから何やら取り出してきます。
『まずは、これを。預かって参りました。』と封筒を出してきました。
やはり昨日の電話で思ったとおりお見舞の封筒のようです。
M君からのお見舞の封筒を受け取りながら『すまんなぁ。わざわざ遠いところから。』と表をみるとそこには『株式会社 タミヤ 代表取締役 田宮俊作』の名が。

『へっ?これって社長から?おまえとちゃうん?』
『はい。社長から持って行ってこいと。』
なるほど。昨日、和歌山に来る事に食い下がってきたはずです。
今回の和歌山行きは社長命令だったようです。

『あらぁ・・・。えらい大層な事に・・・。なんで、社長が?』『先日、電話でお聞きしたときは社長は海外出張中だったのですが、帰国後すぐに報告しました。』
そう言えば社長に報告すると言ってたのですが、私は『しなくていいよ。』と言ったのに。

『で、これは私から奥様に』とM君からはお花をいただきました。
社長の名代で来たために休みは不意になるわ(彼が来たのは祝日でした)、自腹でお花を買う事になるわでかわいそうな事をしました。

折角来たM君ですが、昨日の電話通り私一人のためお茶の一杯も用意出来ず、それでも2時間ほど色々と話して帰りました。

翌日、社長にお礼の電話です。

以前ホビーショーで田宮社長と話しているときに、社長が自分の名刺に電話番号を書き『和歌山さん。これ僕のところに直接繋がるホットライン。秘書が出るから。』と社長室に直接繋がる電話番号を聞いていました。
こんな電話番号を聞いても使う事はないと思っていたのですが、今回役に立ちました。

で、電話すると男性の声で『ハイ』。
ン?秘書って男の人?
『和歌山模型と申しますが、・・・』と言うなり電話の向こうで『アー!!!和歌山さんっ!』
えっ???『社長?』と話しかけると『はい。田宮です。』
『え???この電話って秘書さんが出るんとちゃうん?』
『違うよぉ。僕がいないときに秘書が出て、僕にすぐに伝わるようになってるって言ったじゃない』
秘書の方が出ると思っていたのは私の勘違いでした。なんと本当に社長のホットラインでした。

色々とお話しをしていると田宮社長の極親しかった方も膠原病にかかった方がいたそうで、余計に妻の事を気にしていただけたようです。
お見舞のお礼を言って『まさか社長にこんなにお心遣いをいただけるとは』と言うと『そんな事ないよ。だって僕、和歌山さんが好きだもん。』と言われてしまいました。
いやぁ・・・。そんな・・・。好きやって言われても・・・。

田宮社長にお見舞をもらった時に妻には『これからは社長にあんまり無理難題、無茶な事を言ったらあかんでぇ』と釘を刺されました。
田宮社長には妻が退院後に退院の報告の為に再度電話をしましたが、その際に妻に言われたことを話すと『何言ってんの。それ(無理難題)がなくなったら、和歌山さんじゃなくなるよ』と言っていただいたので、どうやらこれからも色々とお願い(?)はできそうです。

今回の件で田宮社長とさらに距離が縮まったような気がします。
社長っ!これからもよろしくっ!
(っても、こんな駄文を社長が読んでるはずがないけど。)

PS
M君。色々とありがとう。これからもよろしくね。
また、色々とお願いする事があると思うけど、何しろ社長のありがた〜いお言葉、『それ(お願い事?)がなくなったら、和歌山模型じゃなくなる』らしいので。

16日(金)

タミヤ 営業部 M君

当店のお客様の模型クラブのチームオーバーレブ展示会と妻の入院が重なり、今年の展示会の準備には妻の協力が得られなくなりました。
毎年展示会前には、妻に展示会で使用する備品類の買い出しを頼んだり、抽選会をするのでその抽選券を作ってもらったりしてもらっていました。

抽選券を作るのは会員の皆様に手分けをしてお願いしたのですが、問題は各メーカーから用意してもらう景品の種類と数によって、抽選券の種類を作り分けるので各メーカーには早い目に当店に届けてもらうようにしています。

今年もアオシマ、ハセガワは早々に送ってきてくれたのですが、タミヤからは展示会の開催の週の金曜日には搬入というのに月曜日になっても音沙汰がありませんでした。
そこで、営業のM君にとりあえずメールでどうなっているのかとの問い合わせをしました。

M君からすぐに電話がかかってきたので、展示会まで時間がないので急いで欲しい、特に抽選券を作らないといけないし、抽選券を作る事情を説明するときに、妻の入院で会員の方の協力の都合もあるので景品の内容だけでも先に教えて欲しいとお願いしました。

この時点でM君は景品の発送の事より妻の入院が気になり、色々と聞いてきます。
妻の病気が膠原病である事を言うと、高山病との一種と勘違いしたようなのですが、説明をするのも面倒なので、今から会社のネットで調べるようにと言いました。

M君が妻の事を気にするのは、彼は私の妻がたいへんお気に入りらしいのです。
理由は妻が常に彼を私の攻撃、いや口撃から擁護するからです。

M君からは電話が時々かかってくるのですが、その時でも仕事上、製品に関してのアドバイスや意見を色々とお話しをします。
その様子を妻はいつも見て、聞いているのですが、電話が終わったあとで『M君、かわいそうに。もうちょっと優しく言ってあげなよ。』と言われます。
たまにM君の電話に妻が出たときなども先に『いつもごめんね。』などと言っています。

で、M君は妻がお気に入りのようです。
ですから彼は妻の事が気になったようです。

さて妻の入院から2週間ほどしたある日、M君から電話がありました。
『明日、和歌山に行こうと思っているのですが、いいですか?』
私は妻のお見舞だと感じたので、わざわざ静岡から来てもらうほど大層な事でもないし、何よりM君からそこまでしてもらう事ではないと思ったので、『忙しいから来るな。
お前にかまってるヒマはない』と丁重にお断りしました。

が、彼も引き下がりません。
『いや、お見舞って事もありますが、新製品のミニ四駆PROの事もお聞きしたいし』と言う彼に、『そんな事は電話で済むし、第一、来たってお茶の一杯も出せないぞ』と言う私と押し問答の末、『勝手にすれば』と言う事で電話を切りました。

と言う事で翌日、わざわざ静岡からM君がやってきました。

今日も長くなりそうですので、この続きは次回という事で。

14日(水)

洗濯

今日の和歌山は昨日に引き続きとても寒いです。

妻の入院中から家事は日を分けてしています。
毎朝起きてから、朝食の用意、洗濯、掃除、お風呂洗い、お弁当作り、朝食の後片づけ、犬の散歩などすべてをするのは無理なので、どうしても毎日必要な朝食関係と犬の散歩以外の事は日を分けてするようにしました。

お昼ご飯はお店の近くにお昼のお弁当を販売している人がいるので、彼のお休みである土、日以外は頼んでいます。
つまり、土、日はお弁当づくりの日です。
と言う事で、土、日以外にその他の洗濯やお風呂洗いなどをしています。

さて、今朝は洗濯の日だったのですが、今日の寒さには参りました。
洗濯乾燥機などという高級品を持たない我が家では、洗濯物は当然干します。
妻に言われたとおり、一つ一つをパンパンとはたきながら物干しに干していきます。
裏返してはたいて、もう一度表にしてはたいて、シワを伸ばしながら干していくのですが、脱水はしているとはいえ、まだまだ水分で冷たい洗濯物です。

一枚目、二枚目と洗濯物をはたいては干し、はたいては干しているうちに段々と手が冷たくなってきます。
洗濯は2,3日に一度の割合でしているのですが、妻が入院中の時は自分の分だけだったので少なかったのですが、今は妻の分と二人分ですのでそれなりの量になります。
6,7枚目くらいの洗濯物を干す頃には手が冷たくて結構つらかったです。

でも、考えると妻は毎年これをしてきていたんですよね。冷たさに耐えて。
世の奥様方、ありがとうございます。
でも、ほとんどの旦那さんはわかってないですよ。この冷たさを。
もしこの駄文を読んでいただいている奥様がいらっしゃれば、仮病ででもいいですから、一度寝込んでみて、旦那さんに洗濯を頼んでみるのもいいかも。
しかもとびっきりの寒い日に。


今日は妻の体調が少し良かった事もあり、朝食は妻が用意してくれました。
手足の筋肉が衰えているので、台所に立つ事も心配だったのですが、彼女が大丈夫というので作ってもらいました。
実は、本当は昨夜犬の散歩の途中で近くのスーパーで食パンを買う予定だったのですが、買い忘れたため、急遽お味噌汁とご飯の朝ご飯となりました。
ところが私はお味噌汁は作った事がないので妻が作る事になり、彼女もそのくらいなら大丈夫、できるよと言ったので作ってもらいました。
久しぶりにお味噌汁とご飯の朝食でしたが、すごく美味しかったので、今度は私もお味噌汁作りに挑戦してみようと密かに思っています。

13日(火)

アセったぁ・・・。

今日の和歌山はとても寒いです。
朝、犬の散歩の時にチラホラと雪が舞っていました。

妻の入院中は、本当にたくさんの方にお世話になりました。
また、妻の入院前の約一ヶ月、妻が寝たり起きたりの生活の時も皆様に助けていただきました。

自宅の2軒隣に妻がとても仲良くしている奥さん、Nさんがいます。
『いてるかぁ〜』と声をかけながら勝手に家に上がってくる間柄です。
妻が自宅で寝たり起きたりの時にも、朝、私がお店に出てくるときに『また、頼んどくでぇ』と一声かけて出てきます。
Nさんは時間が許す限り、妻と一緒に私の自宅に来てくれて、時にはお昼ご飯や晩ご飯には私の分まで用意してくれる事もありました。
彼女のおかげで、私も安心して店に来る事ができました。

さて、そんなNさんは妻が入院した翌日、私の朝ご飯の事が気になったのかハムエッグと野菜などをお皿に盛って朝ご飯用にと持って来てくれました。

いつものように一応、形だけのピンポンを鳴らして、玄関を開けて『朝ご飯はどうしたぁ?』と戸を開けて家の中に入ってきました。

ところが私にとってはたいへんな事態だったのです。
実はこのときトイレに入っていました。それも大きい方です。
私は自宅で大きい方のトイレの時はズボンどころか、パンツも脱いで下半身スッポンポンで用を足します。
しかも、脱いだズボンとパンツはNさんが入ってきた部屋に脱ぎっぱなしです。
玄関のピンポンが鳴ったのであわててトイレから出て、パンツとズボンをはくためにNさんが入ってきた部屋に行こうと思っていた私はNさんの声にとりあえず下半身を隠すものをあわてて探すと、横にちょうど洗濯の予定のバスタオルが。
それをとりあえず腰に巻いてNさんのいる部屋に行こうと思ったところ今度は携帯電話が鳴りました。
電話の相手は妻が仲良くしている別の奥さんです。
携帯電話に出ながらNさんのお皿を受け取ろうとしたときに、今度は腰に巻いたバスタオルがずり落ちそうに・・・。
左手に携帯、右手にはNさんから受け取ったお皿。
まさに『大ピ〜〜〜ンチ!!!』です。

瞬時にその場にしゃがみ込み、電話をしながら、お皿をおいて空いた手でバスタオルをよせて下半身を隠します。
いやぁ、焦りました。
Nさんは『ごめん、ごめん』と言いながら帰っていきました。
その後、携帯電話のお話も終わったので、改めてNさんのおうちにお礼に。

妻の入院初日から私にとっては大事件でしたが、この一件があってからは自宅でトイレにはいるときは玄関の鍵をかけるようにしました。

10日(土)

膠原病 2

昨日書かせていただいた妻の膠原病の続きです。

かかりつけの先生に日赤病院の紹介状を書いていただき、11月4日に日赤で診察を受けるとその日の内に入院と言われたのですが、膠原病患者用の病棟が空いていなかったため、別の病棟に入院する事になりました。

治療は入院初日から3日間点滴をし、その後はいつも服用しているステロイド剤を増量して最大量と言われる8錠飲みます。
点滴は3日以上連続して出来ないそうです。

入院して最初の一週間あまりは外来時とは違う治療をしているにもかかわらず、症状の改善はなく、入院直前には痛みのために睡眠すら取る事が出来なかった彼女の事を思うと、まずは痛みを取ってやって欲しい一心でした。
また、彼女の事、これから先の事を考えると、私自身も不安を感じる日々でした。
せめて少しずつでも症状が改善していれば、また違った思いだったのでしょうが、3日目、5日目と日にちは経過しても痛みは余り取れていないようです。
点滴治療をすれば今までとは違う状態を期待していた私は不安になります。

10日目くらいでしょうか、ようやく痛みが少しは楽になってきたと言う事で少し安心しました。
入院から2週間ほどしてもう一度点滴治療3日をしました。
今回は効果があったのかさらに痛みがなくなり、手足のだるさだけとなったようです。
ただ、手足の筋肉が落ちてしまい、特に足などはかなり細くなってしまいました。
病院内でのおトイレやお風呂にはいけるのですが、その後の話ですが外出許可をもらって外に出たとき、階段の上り下りはもちろん、ちょっとした段差でも上がるのがやっとです。
これも薬の副作用と病気の影響そして、入院生活での運動不足が重なったものです。

2回目の点滴治療はかなり功を奏したようで、筋肉の低下はあるもののかなり痛みは取れ、だるさだけになったため、彼女自身も闇の中に光明を見いだしたようです。
さらにこのころから免疫抑制剤という薬を3日使い、4日目には免疫抑制剤の副作用を抑える薬を飲みます。
病気を押さえ込むために強い副作用を承知で薬を使い、さらに副作用を抑える薬を投与と、私にとっては正に毒を盛って毒を制するというイメージでした。
免疫抑制剤を使うと言う事で、ステロイド剤を1錠減らして7錠になりました。
さらに症状が安定しているという事で3週間目にはステロイド剤をもう1錠減らして6錠になりました。

当面の目標のステロイド剤は4錠、できれば1、2錠まで減らしたいのですが、まだまだステロイド剤7錠と免疫抑制剤の併用ですから先は長いのですが、それでも1錠ずつ減っていくときのうれしさはなんとも言えません。

こうしてステロイド剤6錠で1週間様子を見たあと、4週目にはようやく5錠まで順調に減らす事ができました。
一応、病院側としては5錠というのは外来患者の投薬量と言う事で主治医から退院の許可が出ました。

5錠で1週間様子を見た12月8日、ちょうど5週間目に何とか退院となりました。
退院とはなったものの、完治したわけではなく、症状が落ち着いているという事での退院ですので、自宅療養し、少しずつ日常生活を送れるように体を慣らして下さいと主治医から言われ、また、免疫抑制剤を使っているので風邪などの感染症には万全の注意を払って、マスク着用はもちろん、人がたくさんいるところには長時間
行かないように、家では常に寝ておく事はないですが、それでもバタバタと動かないように、少しでも疲れたら充分な休憩をするようになどの生活上の留意点をお話しいただきました。

こうして正直なところ決して楽観視できる状態ではないのですが、とにかく退院出来たという事で、彼女の中にも大きな光が差し込み、気持ちを前向きに持つ事ができるようになったと思います。

この5週間の妻の入院騒動で本当に色々な方のお世話になり、人のありがたさを改めて身をもって勉強させていただきました。
また、お客様には営業時間の変更や休業日の変更などでご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。

さて、この2日間の駄文は非常に重い話題となってしまい申し訳ありませんでした。
ただ、私自身の為にも妻の初めての膠原病における入院騒動を残しておこうと思いました。
自宅で寝た状態になったときから数えれば2ヶ月あまりの今回の騒動でしたが、恐らく今後もこう言った事が起こる可能性はとても高いと思います。

ところで、こんなたいへんなときでしたが、今回の騒動がらみで色々とネタにできる話題があります。
妻の入院騒動を皆様にバラしたわけですから、次回からは今回の騒動がらみのおもしろネタをご披露していきましょう。

PS
昨日の駄文をお読みになったN様から早速メールをいただきました。
N様の奥様も最近膠原病であると言う事が判明したそうです。
N様が奥様と共にこれからもがんばって膠原病と闘って行かれる事を切に願います。

9日(金)

膠原病 1

すでに一部のお客様にはお伝えしていたのですが、実は妻が入院をしていました。
が、おかげさまで昨日無事退院をする事が出来ました。
ご心配をいただいた皆様、ありがとうございました。

退院のご報告漏れがあるといけないので、本日は妻の退院のご報告をさせていただき、妻の病気の事を少し書かせていただきます。
おもしろくも何ともないお話しですので、ご興味のない方は本日の駄文は飛ばして下さい。



以前この駄文でも書いた事があると思うのですが、妻は『膠原病』と言う病気を持っています。
膠原病は発症原因が不明で治療法も現在研究中の難病で、国から特定疾患として難病指定されています。

膠原病は免疫異常から起こる病気らしいのですが、大きくわけて6種類の病気があり、妻の場合は『皮膚筋炎』と言う病気で、筋肉と皮膚に異常が起こります。

5,6年以上前の事ですが、それまでも時々腕が痛くなったり、手足の関節が痛くなったりして、その都度近くのお医者さんで相談していたのですが、軽いリウマチかな?
くらいの診断で、気が付けば痛みもひいていたので気にしていませんでした。

5,6年前に皮膚に赤紫のマダラ模様のようなものが出てきたので、皮膚科に行くと皮膚科の先生が一目見るなりすぐにリウマチ科のお医者さんを紹介してくれました。
紹介されたお医者さんに行くと、すぐに『膠原病です。検査しましょう。』と。

この日から今年の春まで薬は服用していたものの、膠原病がこんなに恐ろしいものとは夢にも思っていませんでした。
この、5,6年間は何事もなく、普通に日常生活をおくれていたので、妻とは『まぁ、気長につきあっていくしかないね』とさして気にも留めていませんでした。

最初の変調は今年の春です。
全身が真っ赤に発疹で覆われ、かゆみもあり、最初は皮膚の病気と思ったので、皮膚科に行くと、即、医大に入院を言われました。
それが4月9日の駄文の医大入院騒動です。
今思えば、どうやらこのときの症状も膠原病の影響だったようです。

このときはさしたる治療もなく、無事退院し事なきを得たのですが、その後7月頃から時々妻の体調が悪くなったり、良くなったりの繰り返しで、それまでは少量だった薬も少しずつ増えていきました。
膠原病の治療には現在はステロイド剤を使います。
ステロイド剤は大量に使用すると副作用がとても怖い薬ですので、ある一定量以上の投与は入院して医師の管理の元に行われます。
妻の場合もすでに外来での投薬量の上限になろうとしていましたが、症状が収まるどころか、一向に改善の兆しが見えません。

9月の終わり頃から、痛みやだるさがひどくなり店に出てくる事も困難となりだしました。
とりあえずは、帳簿つけと私の昼食の事などがあるので2,3時間ほどだけ店に来ていたのですがそれも段々と難しくなり、とうとう10月の中頃には起きる事も彼女には苦痛となりだしました。
とにかく起きたり、寝返りをうったり、体を動かすと全身の筋肉が痛いというのです。

10月の中頃からは車の運転も出来なくなり、店に出てくる事は出来なく、さらには痛みのために起きる事も出来にくくなりました。

10月20日頃からはほとんど寝たきりのようになって、それでも寝たままで動かなければ痛みもマシと言っていました。
ところが10月30日頃には寝ているだけでも痛いと言いだし、とうとう11月2日に膠原病でお世話になっている行きつけの先生に入院するようにと言われました。
このときすでに外来での投与量を超えたステロイド剤を服用して一週間が過ぎていたにも関わらず、症状が改善しないどころか、悪化しているのですから当然です。

こうしてとうとう妻は入院する事となってしまいました。

今日は長くなってしまいましたので続きは明日の入荷で書かせていただきます。

6日(火)

当店の犬は雑種ですが、子犬でもらったときから甘やかして育ててきたようです。
と言うより、甘やかしすぎているかもしれません。

彼は雑種の中型犬なのですが、屋外で生活した事がありません。
店では常に店内でいるのですが、最近のように寒くなると暖房の効いた暖かいところ、夏の暑いときは冷房の効いた涼しいところをウロウロと自分の好きなように店内を闊歩しています。

彼が好きな場所の第一番は店内への入り口の玄関マットの上です。
時にはお客様が来られてもお構いなく堂々と寝そべっているため、お客様が犬をまたぐようにして店内へ入ってくる事になります。
私が気が付いたときには出来るだけ玄関マットの上では寝ないようにさせるのですが、ちょっと目を離すと寝そべっています。

自宅では基本的には玄関の室内への上がり口に古い座布団を敷いてやって、その上で寝ています。
ところが最近の寒さに玄関では耐えられないようで、玄関でヒュ〜ン、ヒュ〜ンと情けない声で鳴いています。
仕方がないので台所の端の方に座布団を移動して、少し暖かいところで寝るようにしてやると、今度は毛布を催促します。実は彼専用の毛布もあるんです。

こうして雑種の中型犬でありながら、高級室内犬のような生活をしています。

先日はエサを買ってきたのですが、ドライフードの中でも『ペディグリー チャム』を与えると、他のエサに比べて格段に食べっぷりが良くなります。
実はドライフードの中でもペディグリー チャムは少し価格が高いんです。
前回、前々回と安いドライフードを与えると、本当にお腹が空いて他に食べるものが何ももらえそうにないときだけ、何とか少しずつ食べていました。
そのドライフードが無くなりかけて、新しいドライフードを買おうと思っていたのですが、ついつい忘れてしまって、とうとう底をついてしまいました。
安いドライフードは某ホームセンターに売っているのですが、そのお店にはお休みの日でないと行けないので、仕方なく自宅から歩いて2分の大型スーパーに行きました。
そのスーパーにはペディグリーチャムしか売っていないので、今回はちょっと奮発して買ってやりました。

で、帰ってきて与えるといつもなら2回から3回にわけて食べる量を、一気にバリバリと食べてしまいます。食べ終わると水を飲んで、ゲップ。
満足そうに横になります。

エサまで贅沢な雑種犬です。

2日(金)

プリンター

先月行われた『チームオーバーレブ』の展示会の案内ハガキを印刷しようとしたところプリンターの調子が悪く、ハガキを発送する時期も迫っていたので急遽会員の方にプリンターをお借りして、とりあえずは事なきを得ました。

現在使っているプリンターは初めてパソコンを買ったときのものですので7年くらいは経つと思います。
日進月歩のパソコンの世界で7年と言えば超骨董品になるのかもしれませんが、もったいない精神からすると、使えているものをわざわざ買い換える事は出来ません。
また、ハガキ以外の通常の用紙にプリントをするのには問題がなく、ハガキを大量に印刷するのは展示会と年賀状の時くらいのものです。

とは言うものの、年賀状の季節を前にさすがに今回ばかりは買い換えを決意。
電気屋さんにお勤めで当店のお客様でもあるY谷さんにお願いする事にしましたが、この人、本人曰く、AV(アダルトビデオじゃないですよ)には詳しいのですが、パソコン関係はいまひとつらしいです。
そこで、当店に遊びに来たときにプリンターの事を調べてきてもらう事にしました。
『仕事をサボろうと思って、仕事中に報告に来なくてもいいよ』と付け加えて。

次の日にカタログを持って来て、価格を調べてきてくれたのですが、今はやりのスキャナやコピー機能の付いた複合機はサイズが大きいので当店のような狭いところでは邪魔になるし、スキャナやコピーの機能もほとんど使わないから止めた方が良いのでは?と言うアドバイスと、予算の事もあるので結局一番安いプリンターをお願いしました。
Y谷さんにお願いするとお仕事帰りに配達してくれるので大助かりです。

実は水曜日の夜、Y谷さんがお仕事帰りに配達してくれたのですが、ドライバーがうまくインストールが出来なくて今朝からやり直しました。
(Y谷さん、配達はしてくれるのですが、パソコン系に関しては苦手な方なので問題が起きたときは、自己解決するか、改めてY谷さんの同僚のパソコンの担当の方にお願いするかになります。)
幸いにも今回は簡単に自己解決。

今日そのプリンターで初めて印刷しました。
まず驚いたのは音の静かさです。そして印字スピード、印字のきれいさと当たり前の話ですが7年前のプリンターとは比べものになりませんでした。
久しぶりに楽しいおもちゃ(?)を与えられた気分です。

こうなれば早く年賀状の準備もしなくては・・・。

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