下に行くほど、古くなります。

2006年 10月

 

27日(金)

誕生日

先週の土曜日、10月21日は私の妻の??回目の誕生日でした。

この日仕事を終えて家に帰ると妻が『貴士(長男)からお花が届いた。』とうれしそうに言っていました。
私は『あいつがそんなに気が利くとは思えん。彼女のアドバイスで送ってきたんじゃないか?』と言うと、妻も『そうかも』と早速、長男にメールで『お花ありがとう。お父さんが彼女のアドバイスかって言ってる』と送りました。
すぐに返事が。『違うわ!オレが自分で覚えてて贈った。』そうです。

昨年の今頃はちょうど妻の膠原病がひどくなって、全身に痛みが走り、歩くどころか起きる上がる事も困難となっていました。
それこそ誕生日どころではなく、この先どうなるのだろうという思いばかりでした。

今年の誕生日は何とかそれなりに日常生活を過ごせるほどに調子を取り戻し、リヨンのまこっちゃんにお願いしたケーキに立てたロウソクを消す事が出来ました。

とかく年を取ると誕生日が憂鬱になると言う人が多いですが、私たちにとっては昨年の妻の体調不良があり、今年の回復を振り返ると、誕生日は年を取るのではなく、無事に一年を過ごす事が出来た証の日であり、これからの一年も無事に過ごし、また来年の誕生日を元気に迎える事が出来るようにと感謝とお願いの日であるように思うようになりました。

一昨年までは誕生日が来る度に年を重ねると嫌がっていた妻ですが、今年は二人でどちらからともなく『無事に、元気に誕生日が出来て良かったね』と言葉を掛け合っていました。

そう言えば長男から届いたお花に入っていたメッセージカードにも
『去年はたいへんだったけど、今年は無事に迎えられて良かった、良かった』。

24日(火)

ホビーショー

先週はホビーショーに行って来ました。

いつもの事ながら朝4時半に起きて、和歌山駅から5時半の関西空港行きのバスに乗り、7時の飛行機で東京へ。
8時過ぎに羽田に着き、さらに幕張メッセ行きのバスに乗る事約1時間。
これもいつもの事ですが、待ち時間も含めて4時間あまりの移動に会場に着く頃にはグッタリです。

朝起きてから何も食べていなかったので、食べるところを探していると横浜の『だいまつさん』にお声をかけて頂きご挨拶。
さらに横浜の『たからばこさん』にもお会いしてご挨拶。

そうこうしている間に会場がオープンになったので入ろうと思っていると以前取引をして頂いていた東京の問屋さんの支店長さんにお会いしたのでこれまたお久しぶりという事でご挨拶。
途中GSIクレオスのU氏も交えて3人で立ち話。

ようやく会場に入り当店が取引をして頂いている問屋さんのブースに行きまずは問屋さんの社長にご挨拶をし、当店の担当者と発注の打ち合わせ。

ようやくメーカーブースにと思ったのですが、腹が減っては戦は出来ぬと何か食べようと思って売店を覗くと、開店準備中と言う事でオアズケ。

仕方なく各社のブースで発注を開始。
予想以上にお客さんが少なく、順調に発注を済ませてタミヤブースの前を通りかかるとタミヤの社長と元タミヤ常務で現在は静岡クリエイト社長のS氏が何やらお話し中です。
後ろからそっと近づいて、前に回り込み『模型業界の巨頭のお二人が何をコソコソと企み中ですか?』と声をかけると二人声を揃えて『オォッ!』と言ったあとにタミヤ社長の開口一番は『奥さんはどう?』とお気遣いのお言葉をいただきました。
お礼を言って近況をいったあとに『社長!今日は色々と聞いてもらいたい事があるから』と言うと『じゃ、今から聞こう』と言う事でブースの奥に。
S氏は私の背中に『社長をあまりいじめるなよ』と言っていずこかに。

タミヤ社長と色々と3,40分ほどお話しをして、発注の続きをしました。

発注が終わると今度は各社の製品を見学です。
と思っていたら、エアロベースのI社長と遭遇。
お腹が空いていた私はI氏と一緒に昼食を取る事にしました。

食後はI氏は都内の販売店さんに、私は見学を再開です。

各社を見ながら、今回はオーバーレブの展示会が近いので懇意にして頂いているメーカーさんには展示会でお客様にお配りする協賛品の依頼をして回りました。

タミヤブースに今度は製品を見学するために立ち寄り、社員の方とお話しをしていると製品開発に関する事で直接タミヤ社長に言った方が良いと判断した私は再びタミヤ社長に会おうと社長を捜しました。

幸い手が空いているような感じだったので再び社長とお話し。
途中でモデルアート社の社長と社長の弟さんもいらっしゃって4人で談笑。
モデルアートの社長からは『いやぁ、和歌山さんっておもしろいなぁ。今まででこんなにタミヤ社長にストレートに文句を言っている人、初めて見ました。』
こんな調子で1時間半くらいタミヤ社長と話しましたが、先の分と合わせて合計2時間もタミヤ社長とゆっくりと話したのは私の記憶では初めてです。
とは言え、あとから思うとまだまだ言いたい事はあったのにと思います。

あとから問屋さんの社長からも『モデルアートの社長が言ってたけど、タミヤ社長に色々と言ったらしいなぁ。感心してたぞ。』と言われてしまいました。

今回のホビーショーでの唯一の心残りは最大の目的であった金子辰也氏に会えなかった事です。
金子氏にあったら一緒に写真を撮ってもらおうと思ってデジカメも持って行っていたのにタミヤ社長と長話をしている間に会い損ねてしまいました。
私の構想では私を中心に金子氏とタミヤ社長が両サイドの写真を撮ろうと思っていたのに。
(なんだか私がお二人を従えているみたいでカッコイイと思いません?)
ウ〜〜ン・・・。残念!

と言う事でホビーショーに関する製品情報は各メーカーのサイトや熱心な販売店さん、モデラーさんのサイトを探して頂ければ詳しく載っていると思いますのでそちらをご覧下さい。

18日(水)

飛行船

昨日のお昼、店の入り口で用事をしていると低い唸るような『ブゥ〜〜ン』とエンジン音のような音が上から聞こえてきました。
ヘリコプターの音にしては音が小さいのと、音の近づいてくる速度が遅く何気なく上空を見上げました。

なんと、飛行船です。
白い船体の飛行船が正に私の真上に浮かんで、ゆったりとした感じで進んでいました。
白い船体の横に何か書いているようですが真下から見ているのでわかりませんでした。
そこで店は開けっ放しであるのにも関わらず横の文字が見えるところまで行けないものかと上空を見ながら店の前の道路を歩いていると近所の方が『なによ』と声をかけてきたので、『飛行船やでぇ』と。
その方も驚いたというか、感動したようで家族の方やさらに近所の方に大きな声で『オ〜イ。飛行船が飛んでるぞぉ』。
7,8人の方が家から出てきてちょっとした騒ぎに。

この飛行船はNTTドコモ関西が宣伝のために関西各地を飛ばせているようです。
http://www.docomo-kansai.co.jp/info/campaign_event/airship/index.html
この次に和歌山に現れるのは11月5日の予定だそうです。
そう言えば11月5日と言えば、『チームオーバーレブ』の展示会の日です。
展示会会場からも見えるかな?


さて、昨年の10月に妻が体調を崩しご心配をおかけしましたが、おかげさまで妻の体調も何とか少しずつ回復してきました。
この10日間ほど私の昼食の用意を兼ねてお昼に2,3時間ほど店に出てきて体調の様子を見ていたのですが、何とか体調も維持出来るようになりました。
このように妻の体調も回復してきているという事で、私の家事分担も軽減されましたので当店の営業時間を元に戻したいと思います。

約一年の長きに渡り皆様にはご迷惑をおかけしてきましたが、本日より

営業時間 午前10時 〜 午後9時

とさせていただきますので、よろしくお願いいたします。

なお、勝手ながらお休みの方は現行通り『第2,4水曜日及び毎週木曜日』を継続させて頂きます。ご了承下さい。

13日(金)

できたっ!

当店の常連のお客様が集まって、カーモデルの模型クラブとして活動をしています。
会の名前は『チーム オーバーレブ』と言います。
チーム オーバーレブでは毎年秋になると会員の1年分の作品を一堂に集めて展示会を開催しています。
そして今年も何とか11月に第18回目を開催する事となりました。

毎年この時期になると会員の皆さんは最後の追い込みをかけてひとつでも多くの作品を皆さんに見ていただこうと必死になっています。

さて、私も数のうちと会員として一応名前を連ねているのですが、この数年(いや数年ではないような気が・・。)作品がありません。
会員の皆さんからは『模型屋が模型を作らなくてどうする!』『模型の作れない模型屋!』『売るだけか!』等々厳しいお叱りを受けるのですが、最近では模型を作らない事を居直り、『模型屋は模型を売るのが仕事で、作るのは仕事ではない』『最近老眼で目が見えないから』と応戦はしてみるものの形勢不利に変わりはありません。

実は今までにも何度か製作に挑戦をしているのですが、いつも途中で挫折してしまいます。
まず一番情けないのは目の衰えです。
以前は難なく見えていた塗料の乗り具合やデザインカッターの刃先の行方が見づらく、思わぬミスをしてしまいその都度イヤになって止めていました。

そんな折り、以前の駄文で書いた金子辰也氏の楽しそうに模型を作る姿に触れ見えない部分には目をつむり、とにかく何とか完成させてみようと一念発起。

出来ました。
完成品が。
しかも2作品も。
いずれの作品も細かいところを見ればミスも多いと思いますが、老眼である私には見えていないので、いや、見えていない事にして完成させました。

元々横着な性格ですので、昔から模型を作るときには手を抜き、楽をする方法ばかりを考えて作ってきました。
今回はさらに老眼で見えないのだから仕方がないと居直りも入りましたから、作品の仕上がりたるやモデラーの皆さんから見れば笑止かも知れません。
それでも作った本人は完成した満足感に浸っています。

これで今年の展示会には2作品を並べる事が出来るので、少しは肩身の狭さも解消される事でしょう。

6日(金)

F−1 日本グランプリ

今日から鈴鹿サーキットで日本グランプリが開催されます。

来年からは富士スピードウェイに舞台を移すため、鈴鹿サーキットでの日本グランプリは今年を最後に幕を閉じます。

1987年、鈴鹿サーキットで日本グランプリが開催されて以来20年の長きに渡って毎年開催され、日本の秋の行事の一つと言ってもいいくらいに認知されていたのではないでしょうか。

1987年日本人初のレギュラードライバーとなった中嶋悟がロータスホンダを駆って日本での凱旋レースに戻ってきた20年前、私はお客さんたちと一緒に鈴鹿にレースを見に行きました。

黄色いロータスが目の前を通過するたびにスタンドから大声援が起こり、その大声援がF−1の爆音を消し去って、声の上がる位置で中嶋氏が走行している場所がわかると言っても過言ではありませんでした。

現在と違って20年前の鈴鹿サーキットでは自由席がたくさんあり、私たちは土・日曜と見に行ったのですが、土曜日の午前中は2コーナー、土曜日の午後はヘアピン、日曜日の朝は逆バンク、午後からの決勝は
中嶋悟氏得意の1コーナーの突っ込みが一番よく見える2コーナーからとあちこちから応援しました。
その後も中嶋悟氏が引退する1992年まで毎年鈴鹿サーキットに足を運びました。

さて、今年はホンダがエンジンのみならず車体も自前で開発したマシンで参戦し、また元F−1ドライバーの鈴木亜久里氏が自らチームオーナーとして、しかも日本人ドライバーを起用してスーパーアグリホンダとして
参戦しています。
日曜日の決勝では地元日本で、ホンダのお膝元の鈴鹿でホンダはもちろん、ホンダエンジンを使用していると言う事でスーパーアグリホンダにも良いレースを期待したいと思います。何しろ最後の鈴鹿でのレースですから。

それにしてもこれだけホンダが頑張っているんだからF−1のモデル化を考えろよ!タミヤ!

3日(火)

YS−11

唯一の国産旅客機の『YS−11』が先月末で日本国内の旅客輸送から引退をしました。
国産旅客機と言う事で40年以上の長い間日本国内で活躍、親しまれてきました。

私も一度だけ乗った事があります。
27年前、新婚旅行で沖縄に行ったのですが、その時に沖縄本島から石垣島に渡るときに乗りました。
伊丹空港から沖縄まではDC10だったかの大型機だったので快適な飛行だったのですが、乗り換えてYS−11の機内に入った瞬間に『せまっ!』と思った事を今でも記憶しています。

その他にもYS11の思い出と言えば、30年あまり前に大阪の模型問屋さんで仕事の勉強の為にとお世話になっていたのですが、担当地域が大阪北部だったので配達の帰りに時間があれば伊丹空港近くの空き地でトラックを止めて荷台で休憩がてら(サボりではないです)飛行機の離・着陸を眺めていました。

YS−11が着陸してくるとちょうどその空き地の真上を降りてくるのです。
『ギューーーーン』とも『キィーーーン』とも、プロペラ機特有のエンジン音と風切り音を響かせて頭の上をかなりの低空で通過していきます。
大袈裟な話しですが、まさに手を伸ばせば届く距離くらいのところで見ていました。

ところで今回の駄文を書くのに『YS−11』の事を調べていて、おもしろい事を見つけました。
『YS−11』の名前の由来です。
Y 輸送機設計研究会の輸送をローマ字にした最初のY
S 設計をローマ字にした最初のS
1 1番目に採用したエンジン設計 
1 1番目に採用した機体設計 
だそうです。

さて、模型ファンとしてはやはりこの記念すべき飛行機の模型を残したくはありませんか?飛行機模型ファンでなくても。
と言う事で、宣伝。
ハセガワより1/144『日本トランスオーシャン』航空版のYS−11が少量再販される事になりました。
すでに発注済みですので入荷次第再入荷としてお知らせをさせていただきます。
ご興味のある方は再入荷情報をお見逃しなく。

ところで日本国内では引退のYS−11ですが、日本エアコミューターが最後まで使用した2機はフィリピンに輸出され、引き続き活躍する予定だそうです。

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