今回の話題は少し重いです。
が、皆様にご報告がてら書かせていただきます。
特発性大腿骨頭壊死症という病気があります。
先日来より当店の営業時間の変更や臨時休業で皆様にはご迷惑をおかけしていますが、妻がこの病気になりました。
先月末に妻が入院、手術、リハビリと治療をしていました。
今回の妻の病気、治療については色々と多くのお客様にご心配をおかけしましたが、ようやく25日(水)に退院の許可をいただきました。
まずは皆様に退院のご報告をさせていただきます。
ありがとうございました。
昨年の11月頃から右のお尻のあたりに違和感があり、少し痛みも走ると言っていて、膠原病で見てもらっている先生にも症状を訴えたのですが坐骨神経痛でしょうと言われていました。
年が明けて痛みが強くなってきたというので、1月18日に『きのしたクリニック』に連れて行きました。
きのしたクリニックは脳神経外科ですが、整形外科もあるので診てもらうことにしました。
院長は妻の膠原病のこと、ステロイド剤を服用していること、膠原病で入院をしたことなど妻の病気に関する情報を持ってくれているので相談がしやすいと思って連れて行きました。
妻が症状を話すと、妻の情報を持っている院長は『ピンッ!』と閃くことがあったのか『とりあえずレントゲンとMRIを撮らせて』といいます。
結果は院長の予想通りでした。
もらった病名が『特発性大腿骨頭壊死症』でした。
原因は不明だそうですが、ステロイド剤の大量投与を受けた人は高い確立でかかる病気だそうです。
他にもアルコールの過剰飲酒でも可能性があるようです。
この病気は、股関節部のジョイント部である大腿骨の頭の部分への血液の流れが悪くなって骨が壊死し、やがてはジョイント部の骨が潰れてしまうのです。
わかりやすく言えばガンダムの股の関節部分のテルテル坊主型のポリキャップ部が潰れてしまうと言えばいいのでしょうか。
治療は経過観察をして、最終的には人工骨頭に入れ替える手術という事になるそうです。
はじめてこの話を聞いたときは正直ショックでした。
手術を受けなければならない事や人工骨というものへの知識がなかったので大変な事になったというのが第一印象でした。
きのした院長は手術等に関しては『そんなに心配しなくて良いよ』と言ってくれたのですが、結果論で言えばきのした院長の頭の中にはこの手術の第一人者とも言うべき人の事があったからでしょう。
きのした院長はとりあえず骨への負担を少しでも減らすように大腿部の筋肉を鍛えるリハビリをしようと提案してくれ、このあとも経過観察を続けてくれることとなりました。
きのしたクリニックに通うようになって一ヶ月ほどした頃、妻がさらに痛みがひどく杖を使って歩行をしていたのですが、それも困難となってきました。
そこで再度MRIを撮ってもらうと、さらに大腿骨頭の壊死は進んでいました。
きのした院長は手術も視野に入れたほうが良いかも知れないとアドバイスをしてくれて、その手術をするのならとてもいい先生が和歌山にいるから紹介状をいつでも書くと言ってくれました。
が、やはり手術といえば不安もあるし少し考えることにしました。
ところが妻の症状は益々悪化し、ついには痛みで家の中での歩行も困難になってきたため、ついに手術をお願いするべくきのした院長に紹介状を書いてもらいました。
きのした院長が紹介してくれたのは『済生会和歌山病院』の整形外科医 M先生でした。
術後の結論で言えば、この先生は『スゴイ!!!』の一言です。
他に表現のしようがありません。
股関節の置換手術に於いては、まさにテレビなどに出てくる『神の手』を
持った先生かもしれません。
3月15日にはじめてM先生の診察を受けたのですが、そのときにもレントゲンとMRIを再度取り直したところ、きのしたクリニックでは壊死の状態だった骨頭部分がすでに卵形に変形が始まり、さらには股関節の受け皿部分からずれはじめていわゆる脱臼をしかけている状態でした。
こうなれば一刻も早く人工骨頭への入れ替え手術をしなければならない状態です。
M先生の手術は通常の股関節手術と違って独自の方法を考案しているそうで、執刀部が通常の手術と比べて極端に小さく、骨盤の少し下辺りに6,7cmの執刀部が2カ所あるだけです。
この小さい執刀部のおかげで患者への負担が少なく、回復も驚異的に早いそうです。
このためこの先生の手術を希望する患者は多く、老人性の変形股関節の手術の場合は約半年の順番待ちだそうです。
ところが妻の場合は一刻の猶予も無い状態ということで、M先生はその場で病室の状況や手術室の状況を調べてくれて、最短の日を選んでくれました。
3月31日入院、4月2日手術と決まりました。
その日のうちに手術のための予備検査を受けるようにと言うことで、血液検査等の各種検査を受けて帰宅しました。
妻には何とかあと20日ほどを痛みをこらえてがんばってもらうしかありません。
とは言うものの日に日に痛みが強くなって夜も眠れない日が続くようになり、とうとう手術まであと5日という3月28日、どうにもこうにも右足全体に激痛が走るようで『脱臼したらどうなるの?脱臼してるのやないやろか?』と
言うので、きのした院長に相談の電話をしました。
結局脱臼ではないもののきのした院長の薦めもあり、手術直前ですが翌日に予約を取ってM先生に診てもらうことにしました。
翌日済生会和歌山病院で再度レントゲンを撮ってM先生の診察を受けると卵形に変形だった骨頭部が2週間の間に崩れはじめていました。
M先生の説明によると小さな骨折がいくつも起こっているような状態なので痛みが強いということでした。
ただ、入院、手術が目前ですのでM先生から『大北さん。あと3,4日の辛抱やからがんばって』と励ましてもらいました。
このときは手術への不安よりもこの痛みから開放して欲しいと言う気持ちが強く、帰宅後もあと4日、翌日にはあと3日と手術の日を心待ちにしていました。
さて、いよいよ手術が迫り前日に手術の説明がありました。
各種承諾書の内容の説明を受けそれに署名をします。
ここまできて拒否も無いものですが。
説明では3時間ほどの手術と言うことでしたが、2時間で終わり、術後の説明で『すべてうまく言ったよ。と言うことで明日からリハビリしてもらうで。』
『ヘッ???明日からリハビリ???』
M先生は涼しい顔して『うん。かっちりとうまいこと入ってるから大丈夫!』
かくして本当に翌日からリハビリが始まりました。
もっとも初日は腕で体を支えながら右足を床につける練習だったそうですが。
5日目には車椅子を取り上げられ、トイレに行ったりの移動は歩行器を使ってになり、さらにその2日後のリハビリでは杖を使っての歩行と驚くべく早さでリハビリメニューが進みます。
手術から10日目にはもうひとつ新メニュー段差の上り下りが加わりました。
現在はまだ足は引きずったように歩くものの、病院内での移動は杖だけとなりベッドの横の物を取ったりするくらいの移動なら杖なしでも出来るようになりました。
もちろん2ヵ月半の間あれだけ苦しんだ股関節部の痛みはないそうです。
もっとも人工関節という異物が入っているので違和感はあるようですが、これもやがては少しずつ慣れていくとの事です。
こうしてすべてが順調に運び予定通り術後3週間で退院と言う事になりました。
まだまだ本格的な足の動きではないのですが、あわてずコツコツとリハビリを続けて行けば回復していくだろうと思います。
さて今回の手術をしていただいたM先生には本当に感謝でいっぱいです。
そしてそのすばらしい先生を紹介してくれたきのした院長にも感謝です。
もし、きのした院長の紹介がなければ、さらにはきのした院長がこの病気を見つけてくれていなければ妻はどうなっていたのかと思うとぞっとします。
M先生の手術でなく他の病院で同じ手術を受けたら、今でも昔ながらの太腿部の横を30cm近く切る手術らしいですから。
妻の入院直後から本当にたくさんの方にご心配をおかけしました。
お店の営業状態ではご迷惑をおかけしたにもかかわらず、たくさんのお客様からご心配いただき、励ましていただきました。
もうしばらくご迷惑をおかけしますがどうぞご容赦いただきたいと思います。
最後まで長文にお付き合いいただきありがとうございます。
もし、この駄文をお読みになって少しでも参考にしていただける方がいれば幸いですし、不幸にしていつか妻と同じようなことが起こったときに思い出していただければ良いかと思います。
また、もしお知りになりたいことがあればご連絡をいただければ私の知る範囲、経験の範囲でお話できることがあるかもしれません。
どうぞ遠慮なくお尋ねください。
さて、次回からは入院中のおもしろネタでも披露していきましょう。
ご期待下さい。
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