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My proud friends

Mr. Donald B. Woodruff and Mrs. Cynthia Woodruff Click the name
 私の自慢の友達の一番目は、ドナルド・ウッドラフ氏と奥様のシンシアさんです。
 彼の仕事は、あの(って書くと、どの?って言われそうですが、、、。)ユニバーサル・スタジオのアートディレクターです。

 彼らと知り合ったのは、1993年の秋でした。当時和歌山では翌年に開催される世界リゾート博の付帯設備として『ポルト・ヨーロッパ』と言う、テーマパークを建設中でした。この、テーマパークの建設にはアメリカのユニバーサル・スタジオが関わっており、数十人のアメリカ人スタッフが約一年間、和歌山に滞在していました。そんな中の一人が、ウッドラフ氏です。
 彼は、趣味で飛行機のプラモデルを製作していて、たまたま当店にも立ち寄ってくれました。
 私は、英語などしゃべれるわけもないのに、一応、挨拶として『May I help you?』等と言ってしまいました。その後は、身振り手振りでお話?をしていると、彼らの住まいが私の住まいと近いことなどもわかり、それなら小さい家だけど、私の家で一緒に夕食をしませんかと言うと、快諾してくれました。
 それからは、彼らの家に行ったりしながら、親交を深めていきました。

 翌年1994年の夏、とうとう彼らもアメリカに帰る日がやってきました。
 ちょっぴり寂しかったのですが、彼らのアメリカの住所も教えてもらい、手紙を書いたり、クリスマスプレゼントの交換をしたり、そして今では、インターネットのおかげでいとも簡単にメールのやりとりをしています。彼も私もインターネットには本当に感謝しています。インターネットのおかげで、私たちの友情は和歌山で出会ったとき以上に深まりました。

 彼のことを少し紹介します。

 先に書いたように、彼はアメリカのユニバーサル・スタジオでアートディレクターをしています。
 和歌山のテーマパーク
『ポルト・ヨーロッパ』の中にあるバイキング城の一部を設計しました。
 本来は、映画の仕事をしているそうで、『レッドオクトーバーを追え』『ハリーとヘンダーソン』『クリムゾンタイド』『エネミー・オブ・ステイト』『ショート・サーキット』等他にもあるのですが、これらの映画にアートディレクターとして、映画の最後には名前も出るらしいです。そうそう、最近では『グリーンマイル』や『ワンダーボーイ』等を手がけたそうですし、現在(2000年5月)は、題名は教えてくれないのですが、実写とアニメを取り入れた映画の仕事をしているらしいです。

 住まいは、ロサンゼルスから北へ60マイルほどのSomisと言う町に住んでいます。毎日、車で1時間半くらいで、ロサンゼルスやハリウッドに通ってるそうです。時々、3ヶ月くらい、長いときは6ヶ月くらいロサンゼルスやハリウッドから離れた場所での仕事の時もあるそうです。この時は、奥様と離れていますが、1,2回は奥様が訪ねてくるそうです。奥様も仕事を持っていますが、週に1回は孫の子守をするそうです。孫はかわいくて、かわいくて仕方がないようで、写真をメールで送ってきてくました。孫をかわいがるのは、日本人もアメリカ人も一緒のようです。そして母親を大切にするのも、、、。

 私の友人が米国に行ったときに、彼らを訪ねたのですが、大きな家に驚いたのと、仕事場、つまりユニバーサル・スタジオの裏側を案内してもらって感激したそうです。出来れば、いつか私も彼らの家を訪ね、ユニバーサル・スタジオに行きたいです。そうすれば、たぶん普通の人が入れないような所を案内してくれそうですから。彼らからは、よくメールでお誘いを受けるのですが、、、。
 これからも、友情を大切にしていきたいと思っています。

Mr. Ross Gallichotte Click the name
 二番目の自慢の友達もWoodruff氏と同じ、ユニバーサル・スタジオのアートディレクターです。
 知り合ったきっかけは、Woodruff氏と同じですので、省略。彼は、ポルト・ヨーロッパのシーファリというアトラクションの一部を担当していました。

 彼も映画の仕事をしていて、『ロッキー4』『ダラス』『レイズ・ザ・タイタニック』等の映画に携わり、海外のテーマパークにもあちこちに関係しています。
 彼も、1994年の夏に帰国しましたが、そのとき、大阪に出来る予定だった
『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン』 の建設に携わるようなことがあれば、再会をと約束していました。

 1999年の、4月の終わり頃に女性の声で、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンですがと言う電話がかかってきました。そして、ロス ガリショッテをご存じですか?彼がゴールデンウィーク中に会いたいが、予定を聞いてくれと言う、通訳の方からの電話でした。そうです。彼は私との約束を果たしてくれ、日本に帰ってきたのです。私は彼に5年ぶりに再会できるうれしさに、たとえ用事があってもすべてキャンセルするから、必ず和歌山に来るようにと伝えてもらいました。

 彼はセニア・ファシリティー・アート・ディレクターという肩書きで大阪の 『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン』 のニューヨークエリアとサンフランシスコエリアの建設に従事していました。
 工事で2年あまり大阪にいたのですが、その間に何度も和歌山に遊びに来たり、私も大阪の彼の仕事場を何度か訪ねました。

 彼の案内で工事中のUSJに何度か入ったのですが、特におもしろかったのは現在はラグーンと呼ばれる園内中央にある池に工事中で水が入っていないときに池の底の部分を色々と見せてもらいました。
 そのときはまだまだ工事が始まったばかりの頃で、他にもターミネーターの建物が鉄骨むき出し状態だったり、地面も土を持ったままの状態でした。

 その後も何度か工事中に園内を見せてもらい、完成間近になった頃にはレストランにも食事に連れて行ってもらいました。
 現在はアミティレストランとして営業しているレストランで、レストランのスタッフの練習台になりました。お店屋さんごっこのように注文するマネをして、お金を払うふりをして、おつりをもらうふりもして、ようやく食事をいただけました。
 このころにはほとんど施設は完成していましたが、それでも細かい部分が気になるのか一緒に園内を歩いていても、『チョットマッテ』『wait!』と時には日本語、時には英語で私に言いながら、次々と出会うスタッフに指示を出していました。

 Rossがアメリカに帰る数日前に園内で数時間を一緒に過ごし、サンフランシスコエリアとジュラシックパークエリアを結ぶ橋の横のベンチでお互い何も言わずに長い時間座っていました。
 今もそのベンチのところを通るとRossと座っていた光景を思い出します。
 その後誇らしげに案内をしてもらった建物にはRossの名前が・・・。

 オープン3ヶ月前には関係者のためのプレオープンに招待してもらい、オープン半月前の本格的な招待プレオープンにも招待状を用意してもらって、毎回楽しませてもらいました。

 そんなこんなでUSJは私にとってRossとの思い出が詰まった特別の場所です。

 とても愉快な、ナイスガイと言う言葉がぴったりのRoss Gallichotte。君と一緒にいるといつも楽しかったよ。
 いつもマイペースで、それでも気配りはちゃんとしてくれて、たくさんの思い出をありがとう。
 君はアメリカに帰ってしまったけれど、インターネットで友情は続けていこうね。

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